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結成45周年記念会を挙行

1971年3月28日(昭和46年)にクラブの結成を見、初代会長に故L. 堀勇を迎えて、岐阜県民体育館(岐阜市薮田・現スポーツアリーナ)で、スポンサークラブ岐阜長良川ライオンズクラブと〝We Serve〟の精神のもと、産ぶ声を上げてから45年が過ぎた。

その過去を振り返ると共に50周年を目標として、新たなスタートを切り、明るい社会と発展を祈りながら式典が挙行された。

記念会は、岐阜グランドホテル(月の間)で11時から開催。「第一部例会」・「第二部・祝宴」の構成で進められ、ご来賓の入場から始まり、L. 坂本憲治会長の開会宣言と開会ゴング。物故ライオンの追悼。来賓並びにブラザークラブの紹介。

歓迎のことばに立ったL. 金森喜久雄(実行委員長)は「ご来賓の方々にはお忙しい中を私共、岐阜城ライオンズクラブ結成45周年式典にご来会下さいまして、心から感謝します。」と述べ礼を言葉にした。なお、45周年記念事業の重点5項目の記念事業を説明。「50周年へのWe Serveの継続と希望・各界各位からのご指導と、ご鞭撻をお願い申し上げます。」と、あいさつした。

式典プログラムは、国歌・LCの歌斉唱のあと、結成40周年以降、本日までの5年の間、限りなき奉仕の情熱を燃焼させながら、他界された物故ライオンを紹介し、黙祷のときが過ぎた。続いて、来賓並びにブラザークラブの紹介。歓迎のことば。式辞には、会長・L. 坂本憲治。スポンサークラブへ感謝状と記念品が岐阜長良川LC会長・L. 荒川晶一様に渡され、ご挨拶を頂戴した。

記念会のメイン事業の5項目は、スクリーンに映され、それぞれ内容の異なることを、映像を共にしてL. 近石登喜雄(45周年実行副委員長)が発表した。

式典を締めくくるご来賓の祝辞には、岐阜城LCが岐阜市を中心に奉仕活動を繰り広げていることから、当クラブの名誉顧問・細江茂光様の来賓祝辞を受け「結成45周年おめでとうございます。の巻頭言から信長公が小牧山城から岐阜城に入城した1967年に〝岐阜〟と命名して450年となります。また、岐阜市に於いても45の数字が縁起よく並ぶことの意義を考えますと、誠にお目出度いことで、クラブの実績として〝金華山登山道マップ〟など数多くの奉仕を岐阜市民に頂いており、感謝に耐えないところです。」と、ご挨拶。

謝辞に第一副会長・L. 稲田憲三郎が壇上に立って、感謝と継続の意を込めて下壇し、閉会ゴングで第一部を終わり、第二部へ繋いだ。

記念会に参加された国際協会名誉顧問・L.松波英一様をはじめ、関係者、クラブ会員、家族を合わせて95名。

滞りなく滑らかに進んだ結成45周年記念会の影には、感謝状・記念品の贈呈に〝花を添えてくれた〟和装に着飾った梶川芙美さん、坂本夕起さん(共に会員のお嬢さん)の存在も大きいところであった。

固い雰囲気から解放され、第二部の祝宴には、トップに立って、前会長・L. 桐山詔至の開宴のことばから幕を切った。

来賓スピーチは、334‐B地区名誉顧問・L. 松波英一様の昔を偲ぶエピソードを交えてのユーモア溢れる長時の懐古は、会場を沸かした。

乾杯は第3Z・ZC・L. 松波英一様。

アトラクションでは、いまに相応しい太鼓や三味線、舞いの古典芸能・岐阜芸妓の演技が花を添え、ライオンズローアは、第3Z・ZCA・L. 髙田良彦。

また会う日まで、閉宴のことばに第三副会長・L. 髙木康弘の「また会いましょう」の声高に、5年後の再会を約束して宴を閉じた。

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